私のB-Pスピリット研究 F 信仰の奨励に託されたB-Pスピリット ―― NATURE KNOWLEDGE A SLIP TOWARDS REALIZING GOD ―― ボーイスカウト運動(ガールガイド・スカウト運動を含む)は、スカウトに明確な信仰を持つことを奨励しています。何故でしょうか。 創始者B-Pは、牧師の子息であり、自身が敬虔なクリスチャンでした。普通に考えれば、彼が信じる神や宗派の教えを広めてもよいはずですが、 B-Pはそれをしませんでした。 どんな宗教でも良いから、何しろ信仰を持ち、神の存在を信じましょう、というような主張をもつ運動や団体は、ボーイスカウトかフリーメイソンリーぐらいしか私は知りません。B-Pは何故そのような主張をしたのでしょうか。 B-Pがフリーメイソンだったからとか、当時拡大していた共産主義思想に対抗する勢力の結集のためとか、諸説を聞いたことがあります。あなたはどれを信じますか。 信仰の奨励についてのB-Pの真意を知りたいという思いから、それを探った考察が今回の文章です。デリケートな部分もありますので、読まれて異論を感じる方や立腹される方もおられるかもしれませんが、あえて記してみました。 私たちが容易に目にすることができるB-Pの著書で、信仰に関することについて深く記した文章が、「ローバーリング ツウ サクセス」(原著の出版1922年)の「第5の暗礁 無宗教」の章です。そこからB-Pの真意を探ってみましょう。(引用は、Rovering To Success の原文および「ローバーリング ツウ サクセス」ボーイスカウト日本連盟 昭和42年初版発行(中村知氏訳)を参考にしました。訳文の後の数字は、それの頁数です。) その章の冒頭は、次の展開で始まります。 ROCK NUMBER FIVE IRRELIGION ずいぶんアグレッシブな書き方であり、無神論を敵視しているようにも感じます。文章内にある英国内の無神論を唱える九つの協会を特定することはできませんが、19世紀から20世紀になる頃のヨーロッパは、フランス革命以後台頭してきた合理主義やリベラリズム、不可知論等の考え方の拡大に合わせて、ダーウィンが進化論を説いたのをはじめ、フォイエルバッハ、マルクス、ショーペンハウエル、ニーチェ等といった無神論的思想家が出現し、活躍した時代です。保守的な人やキリスト教信者にとっては不安でまた脅威の時代であったであろうことが想像に難くありません。 次の主張が信仰の奨励を必要とした核心といえる部分でしょう。 If you are really out to make your way to success - i.e. happiness - you must not only avoid being sucked in by irreligious humbugs, but you must have a religious basis to your life. ところで、世界の宗教の中には神の存在を前提にしていないものもあり※、これについてはどのように思っていたのでしょうか。 Religion very briefly stated means: とB-Pは述べていますので、信仰することは、信じる宗教が違っても、神 = 造物主 を信ずることには相違ない、という思い込みがあったのかもしれません。 そのあたりの検証も必要かと思いますが、それはひとまず置いておいて、以下、B-Pが 神 = 造物主 について論じている部分を抽出してみました。 (As…avoiding atheism,…One is to read…the Bible,…) The other is to read that other wonderful old book, the Book of Nature, and to see and study all you can of the wonders and beauties that she has provided for your enjoyment.B-Pはこの後、THE BEAUTY OF NATURE (大自然の美)、HIKING (ハイキング)、HUMAN BODY AS AN ITEM IN NATURE STUDY (自然研究の課題としての人体)、MICROSCOPIC NATURE (顕微鏡下の大自然)、TELESCOPE NATURE (望遠鏡で見る大自然)、THE ANIMAL WORLD (動物の世界)、THE SOUL (精神)、CONSCIENCE (良心)、LOVE (愛) の節を設けて説いていきます。 From tiny microbes seen through the microscope to vast worlds seen through the telescope one begins to realise what is meant by the Infinite, and when one realises that all things, big and little, are working in one regular order in a great set plan, the stars whirling through limitless space, the growth of mountains in the world, the life and reproduction and death in a regular series among plants and germs, insects and animals, one realises that a great Master Mind and Creator is behind it all. はしおりすぎた感がありますが、以上の流れを私なりに整理して換言すれば、次のようになります。 人間は、世界を 正しく深く認識し理解・評価する(appreciate)ことができる能力をもっている。その能力を駆使し、大自然に目を向け、それを深く研究・探求すれば、君はきっと 造物主 = 神 の存在を感じることになるであろう。その神は、諸々の宗教がうたう(この地上のそれぞれの地において個々に作り上げられた諸宗教の)神をのり越えた誰もが一様に実感できる普遍的な神である。 この世界が、神が創ったものであれば、それは神の意思の反映である。神が創った世界である(自分自身も神の意思によりつくられた)という認識のもと、その世界のために奉仕する人に対して、きっと神は 幸福 = 成功 を授けてくださるであろう。 以下、私なりの考察です。 B-Pが信仰を奨励したのは、造物主の存在を否定する無神論の蔓延を防ぐ防波堤にしたかったからと考えられます。 無神論を認めるということは、造物主の意思自体が不存在ということになり、人がこの世のために奉仕する意義も基盤も失われてしまうことになります。 もしこの世が造物主のない世であるとすると、それは何の意思も意図もない、ただ物質の運動の偶然の重なりによって形成された世界ということになります。私たち人類でさえ偶然の産物であり、その存在の意義(哲学・宗教・思想)も単なる人の思考の産物でしかありません。これは結果的には、自分だけがよければよいとか自分に役に立つものだけが価値があるという利己的または功利的な思想や態度に行き着くことになるでしょう。 現存の世界の宗教は造物主の本当の姿を見たわけではなくまた解き明かしたわけではないいわば仮説の記述であるが、でも造物主はおられる、それは確信する。様々な描き表し方ではあるが世界に散在する宗教は一応その態度を堅持している。よって信仰を持つことによって無神論からは守られることになる。―― その見識から信仰の奨励という方針が策定されたと理解しました。 B-Pの自然研究を大切にしている態度は、自然科学の発展は、いつしか造物主の存在を明らかにする日が来るであろうことの期待の表明であるとともに、大自然が見せてくれる驚異と美の全事象が造物主の意思のサインであると気づいてくれる(信じてくれる)ことを人々に願ったのでしょう。 どうですか。皆さんはどのように感じられたでしょうか。 The aim in your Nature study is to develop a realisation of God the Creator, and to infuse a sense of the beauty of Nature. ※ B-Pは、神(God)=造物主・創造主(Creator) がこの世界をお作りになったことを礎にして、論を展開しています。世界に散在する諸宗教は、造物主(Creator) をどのように捉えているでしょうか。まずは、世界三大宗教といわれる キリスト教、イスラム教、仏教 についてみてみましょう。 キリスト教とイスラム教は、ともにユダヤ教(預言者アブラハムの教え)を基盤にして成り立っているもので、造物主 に当たるものは、ユダヤ教でいう ヤハウェ ( יהוה <ヘブライ語>、旧約聖書の和訳では 主 )であり、それがキリスト教では 神 ( God <英語>、 Deus <ラテン語>、 Θεός <古代ギリシャ語>、 אלהים <ヘブライ語>)、イスラム教では アッラー ( الله <アラビア語>)、と呼称を変えたものだということができます。他の神々の存在を認めない唯一神教(monotheism)でもあります。 ところが、仏教は、造物主にあたる概念がありません。あえて言えば、般若心経がうたう、照見五蘊皆空、是諸法空相、に示された 空 が世界の根源といえましょう。または 己自身 (三界所有唯是一心:華厳経八十巻本‐三界は唯心の所現)と捉えることもできます。梵天 (ブラフマー ब्रह्मा <サンスクリット>)は、ヒンドゥー教では造物主ですが、仏教では仏法の守護神の一人ということになります。 ちなみに、神道(日本神話)では、この世の始まりは天地開闢(てんちかいびゃく)であり、その時に現れた 別天津神(ことあまつかみ) の諸神が造物主といえます。 ギリシャ神話は、パルテノン神殿の存在が示すとおり、かつては有力な一宗教であったのでしょう。しかしキリスト教に席巻され、今日ではファンタジーの一つになってしまっているようです。ギリシャ神話には数々の神が出てきますが、その中で造物主は、ガイア( Γαῖα <古代ギリシャ語>)ということになりますでしょうか。 プラトンやアリストテレスをはじめとする多くの人々が展開した古代ギリシャ哲学は、宗教になれなかったのでしょうか。それぞれがこの世の真の姿や本質の探究に努めた営みであったといえますが、それらは奴隷制の上で、限局的な営みでしかなかったため、後世に種々の影響を及ぼす思想や世界観を示したにもかかわらず、万民を導く教えにはならなかったのでしょう。なお古代ギリシャ哲学の礎となる宇宙論・自然哲学は、神に立脚しない自然の解釈の壮大な試みといえるもので、神や創世の捉え方も様々です。 儒教は中国における三教(儒教・仏教・道教)の一つとされていますが、儒教は、仁、義、礼、智、信 というような徳性を説くもので、そこから人の生き方を教えるものです。儒教はどちらかというと無神論思想で、神とか造物主という概念が見当たりません。天 という概念が世界観の礎という感じがします。また、道教における造物主は、中国神話における天地開闢の創世神とされる 盤古 といわれています。 無神論であるとして諸宗教から敵視されるマルクス主義思想がありますが、それが説く 唯物弁証法 や 史的唯物論 は、諸宗教に劣らない確固たる世界観を描いているものであり、私のうがった見方で言えば、マルクス主義思想も一つの宗教に見えてしまいます。マルクスの「宗教はアヘン」の言葉や、社会主義諸国の宗教排斥や弾圧の歴史が反宗教主義と捉えられ、世の宗教とは別の系列のものと見られてしまっているのでしょう。唯物論思想が展開する「物質の無限階層性」が、神や造物主に代わる概念と捉えることができます。 参考までに記します。 文化庁が編集・発行している「宗教年鑑」(平成27年版 平成28年3月30日発行)には、“日本には,神道,仏教,キリスト教,諸教など多種多様の宗教文化が混在している。神道では古くから各地に神社が祀られたほか,幕末維新期には多数の神道系教団が創設された。仏教は,6世紀半ばに移入され,さまざまな宗派が成立し,全国に寺院が分布するに至ったが,明治時代以降も新しい仏教系教団が多く創立されてきた。中国からはこのほか儒教や道教も古代から伝えられており,諸宗教の中に根づいているものもある。キリスト教でもカトリックやプロテスタントの諸教派が伝えられ,イスラーム,ヒンドゥー教,ユダヤ教なども活動している。”と記されています。 同「宗教年鑑」によると、文化庁が把握している宗教団体数は、包括宗教法人数が 399、単位宗教法人中の単立法人数が 6,935、非法人の包括宗教団体数が 76 (以上平成26年末時点)であり、以上の計 7,410 が日本にある(公認の)宗教の数と言ってもよいでしょう。それらの内、2,177 が神道系、2,857 が仏教系、1,846 がキリスト教系、454 が諸教と分類されています(但し非法人の包括宗教団体数76は除外して集計)。これ以外にも、宗教的教義、思想体系、不文律、迷信等を持つ、非公認の類似宗教団体、地域信仰、地下宗教結社等は数多くあると思われます。更に個人限りの独解の宗教的信心を加えれば、莫大な数になってしまうと思います。 ベーコンにしても、ニュートンにしても、またアインシュタイン∵であっても、神の存在を信じ、彼らが自然科学の研究を進めたのは、造物主の真の姿を解き明かしたいという思いが後押ししたともいわれています。B-Pの自然研究重視の態度も、それと同じ指向だったのでしょう。B-Pは、大自然が人々に見せるいわゆる 精巧さ・緻密さ・神秘・驚異・不思議 を、造物主の実在に結び付けています。しかしそれは証明ではありません。21世紀となった今日でも、自然科学は造物主の存在を明らかにできずにいます。自然科学の発展は、はたして造物主の真の姿を解き明かすことができるでしょうか。どのような教義を打ち立てても、現在ではそれは結局仮説でしかありません。ですから、私たちは、結局、造物主 の存在を“信じる”、という心の働きでしか態度を表明することができません。現代の多様な世界観や価値観が共存するこの世界で、どんな態度を表明するか、それが問われているのだといってよいでしょう。 ∵ アインシュタインの言葉 … “Ich glaube an Spinozas Gott, der sich in der gesetzlichen Harmonie des Seienden offenbart, nicht an einen Gott, der sich mit Schicksalen und Handlungen der Menschen abgibt.” (私は、人間の運命と行動に関わる神ではなく、法則の調和の中ですべてのものの存在を明らかにするスピノザの神を信じます。) (New York Times, April 25, 1929) この世(宇宙、私たちが認識しているこの世界、もし"あの世"があればそれも含めた世界)は、誰かの(何らかの)意思により造られたものか、それともこの世界に元々ある要素のようなものが絡み合ってその結果としての現象のような形で生まれたものか、きっとそのどちらかであると思います (ただし自分が主観的観念論とか唯我論といわれる形の存在でないことが前提)。しかしそのどちらを信じるかについては、それぞれ個々人を取り巻く環境や文化、その人の生誕以来の全経験の質、その人の知識や記憶の総量等によって変わってくると思います。この地上では、そこへ人々を誘導する営みが、宗教という(自分は神の使者だとか啓示を受けたのように主張する)預言者とか覚者等と呼ばれる人達が創始した教えや布教によらなければできないと多くの人が思い込んでいるところに、ことを複雑にしている感があります。世界中に、数え切れないほどの宗教があります。それらの信者でない人からすれば、それぞれの教義や教典は、その宗教創始者の作話、創作、空想、妄想、または魂胆ぐらいにしか思われていない実情があります。いや、不安や脅威から、他宗教信者に異端者というようなレッテルを貼ってしまうことさえあります。この絡み合いにより、迫害や戦争をも引き起こしてきた世界の歴史を見ると、造物主の存在を信じる手立てを、宗教に求めたB-Pの思索には矛盾点があるように感じます。ではこの問題から脱却する手段は?と問われた場合、それを明確に答える術は持っていませんが、先人、例えばパスカルがパンセの中で記述した論考等が参考になるのではないかと思います。 Mais nous ne connaissons ni l’existence ni la nature de Dieu, parce qu’il n’a ni étendue, ni bornes. 私が生まれる前、私は何であったのか、私が死んだ後、私はどうなるのか、そもそも何ゆえに私は存在しているのか、そのようなことは、今ここに生きている私としては知る術がありません (死んだらわかるのかもしれません)。そんな私が、この世界は誰が作ったものか、などということまでを知るまたは想像することは至難の業です。自然科学が今日のレベルにまで発達した時代であっても、人それぞれが日々の生活の中の経験だけで、また学校教育や社会の中の知見の吸収を通しての学習だけでそれを推測または想像することはほぼ不可能でしょう。 人類にのしかかったこの難問に、その解答を見つける人類の長い努力の成果の一つが宗教であると思います。今、世界中にある宗教の一つひとつは、それらが出来上がった契機は様々ですが、それぞれは、その解答を網羅・完結した仮説の体系と捉えることができるでしょう。これらに私たちはどう向き合うか、それを問われているといってもよいと思います。 宗教を、冠婚葬祭や季節の節目のイベントや儀式に活用するだけでは寂しいと思います。家や地域の伝統や文化であるとして、日課や習慣として読経したりお祈りするだけではもったいないと思います。 宗教の一つひとつを読み解けば、それは人類にのしかかった難問に向かい、それの解答を指し示す世界観の体系です。それらは、この世界、宇宙の(人類としては永遠に認識できないかもしれない)真の姿とは、結果として違うのかもしれないけれど、一つの確固とした世界観を人々に提供してくれているという意味で、それを信仰または信心することは、人々の個々にその生の意味を与えてくれることになります。ですから、宗教は、その人の人生の先を照らす前照灯といえるものであり、これを学びこれを信じることは、その人の生の意味を獲得する一つの有効な手段であると評価できます。 ありがとうございました。(2015.10.12) 参考までに ローバーリング ツゥ サクセス (やんちゃ隊の資料庫 ウェブサイト) <http://scout.o.oo7.jp/RTS_0001.pdf> ROVERING TO SUCCESS (カナダ ScoutsCan.com ウェブサイト) <http://www.thedump.scoutscan.com/rts.pdf> GIRL GUIDING (カナダ ScoutsCan.com ウェブサイト) <http://www.thedump.scoutscan.com/girlguiding.pdf> SIR ROBERT BADEN-POWELL ON ATHEISM AND RELIGION (USSSP ウェブサイト) <http://usscouts.org/scoutduty/sd2gc94.asp> "Johnny" Walker's Scouting Milestones Pages, UK <http://scoutguidehistoricalsociety.com/> 「明確なる信仰を持つことを奨励する方法の研究」中村知著(新潟連盟HP) <http://www.scout-niigata.org/wp-content/uploads/2011/12/iaieaiia.pdf> 私のB-Pスピリット研究 @ ボーイスカウト運動についての諸考察 (2014.10.5) A スカウティングに託されたB-Pスピリット (2019.8.27) B 「隊長の手引」に記されたB-Pスピリット (2015.8.14) C ローバーリング ツウ サクセス に記されたB-Pスピリット (2015.8.15) D 「パトロール システム」に記されたフィリップスのスピリット (2015.9.26) E 進歩制度に託されたB-Pスピリット (2015.10.14) F 信仰の奨励に託されたB-Pスピリット (2015.10.12) G 野外活動に託されたB-Pスピリット (2015.11.29) H スカウト運動に託したB-Pスピリット (2016.7.14) I “ちかい”と“おきて”に託したB-Pスピリット (2016.12.12) ◎ ベーデン-パウエルのラストメッセージ B-P's Last Message J ボーイスカウト研究 (1979.12.14) K ボーイスカウト実践記 (1980.4.28) L ボーイスカウト活動プログラムの紹介 (1998.6.20) M 《資料》 スカウティング フォア ボーイズ 序文(1940年) N 《資料》B-Pの1926年の講演「ボーイスカウト・ガールガイド運動における宗教」
信仰の奨励に託されたB-Pスピリット SFG 掲載資料は、パブリックドメインの状態にある著作物と判断し、または引用として、活用させていただきました。 もしこれがその他の条件等により制限を受ける行為とみなされるものであれば、指摘をお願いします。 I have posted materials as being in the public domain or as quotations. If this conduct is restricted by other conditions, please point it out. このホームページは個人が開設しております。 開設者自己紹介 mooxxooxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxooxxoom |